時評
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未来の衝撃
アルビン・トフラー
実業之日本社
1970年
アルビン・トフラーの3部作
「未来の衝撃」
「第三の波」
「パワーシフト」
の一つです。
30年前の作品ですが、なるほどと思うところも多いです。
産業化社会から、超産業化社会への移行に伴って、色々問題がおきる。問題の提起と、対策をまとめた本です。
対策は、未来を予測し、制御しなさい、という事です。
以下、読んでいて、マークを付けたところを、拾い出しました。
キーワード
未来の衝撃
超産業化社会
経験的産業
生活様式
対応
教育
技術中心主義の死
キーワード
超産業化社会
加速化――変化の加速化
一時性――使い捨て文化。人間と取り巻くもののつながりが一時的に
新奇性
多様性
過剰選択
「未来の衝撃」に対処するため、新しい社会サービス、未来志向の教育制度、新しい科学技術を制御する方法、変化の制御を可能にする戦略。
変化を独創的に使って、変化を上手く制御することによって、「未来の衝撃」の傷から逃れうるのみならず、また、遠い明日を把握でき、未来を人間にふさわしいものにすることが出来るからである。
未来の衝撃
現在から21世紀にかけてのわずか30年の間に、何百万人もの正常な神経の持ち主が、突然、未来と正面衝突を起こすだろう。
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過去300年間、西洋社会は、変化の嵐に巻き込まれてきた。今、この嵐は、静まる目どころか、ますます勢いを増してきているようだ。この変化の嵐はかつてないスピードと衝撃力を持って高度化に産業化した国家を押し流し、
・・・
われわれは「未来の衝撃」を次のように定義する。すなわち、それは人間組織の身体上の適応システムや、その意思決定プロセスにあまり負担がかかりすぎる結果生じる肉体的、精神的苦痛のことを言うのである。もっと簡単に言えば「未来の衝撃」とは過度の刺激に対する人間の反応のことである。
超産業化社会
人間が生存した過去5万年を800回の生涯に分けると、このうち、650回は人間は洞窟で過ごしたわけである。残り、150回のうち、最後の70回の間においてのみ、一つの生涯から次の生涯へと効果的なコミュニケーションが出来るようになった。そのうちでも、終わりに近い6回の生涯の間で、多くの人間が、言葉が印刷されるのを見たわけである。また、それより後の4回の生涯のうちに、時間を正確に測ることが可能となり、最後の2回の間に、どこかで、誰かが電動モーターを使うようになった。われわれが今日、日常用いる品物のうち圧倒的大多数の品目は、現在――つまり800回目の生涯――の内に作り出されたものである。
この800回目の生涯は、それまでの人間の経験との間にはっきりした断絶を示している。というのは、この間において、人間と資源との関係が逆になったからである。これは、まさに、経済発展の分野においてもっとも明らかになっている。一生涯のうちで最初の文明の基礎であった農業は、各国で相次いでその優位の座を失っている。
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この800回目の生涯は、驚くべき規模と範囲で変化が広がっていくという点で、他のいかなる人生とも異なっている。
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その変化は、単に範囲と規模が拡大してきただけでなく、その速度も急激に変化
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超産業化社会の時代に移行するにしたがって、何が起こっているのか理解するには、加速化の過程を分析し、一時性の概念をよくよく極めてみる必要がある。
経験的産業
経験産業は、超産業化社会の一つの主柱たりうるにとどまらず、実に超サービス化経済の基盤そのものとなると考えられる。
模擬的環境
生きた環境
生活様式
自分がその社会の一員であるとなどという感じを持ち、全体と接触しているのだという感じをいくらかでも維持しようとするなら、そこにある一つか二つの二次文化集団に属する以外に方法はない。そうしたグループに属することが出来なかった場合、人は孤独感や疎外感、無力感に襲われ、苦しむことになるのである。
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二次文化集団の「奇跡の成分」、他にない構成分、その二次分化集団だけが提供できて他の集団には出来ないものはいったい何かといえば、それはわれわれを過剰選択の圧力から一時的に逃れさせてくれるということだ。
対応
このように、大切なことは変化を抑制するという不可能なことをすることでなく、変化をあやつることである。生活のある側面で急激な変化を望むならば、われわれは意識的に、どこかほかの分野で安定領域をもとうとすることが出来る。
おそらく、離婚したすぐ後で転職などはするべきでないだろう。また、子供の誕生は家庭内での人間関係をすべて変えるから、家庭外で人間関係に著しい変化をもたらすような転勤は、子供の誕生後すぐにするべきではないだろう。夫に死なれたすぐ後で、家を急いで売ることも望ましくない。
教育
マス・プロ教育は、産業化社会が必要とするタイプの成人を生み出したが、その教育制度は産業化社会が作り出した天才的な組織であるということが出来る。この教育の持つ問題は、はなはだしく複雑であった。子供たちをいかに教育して新しい世界に送り出すかーーつまり、せまぐるしい屋内での繰り返し仕事、煙、騒音、機械、密集した悪い居住条件、集団規則といった世界に、子供たちをどう教育して送り出すか。そしてまた、労働時間が日の出、日没によって決まるのではなく、工場のサイレンや時計で決められる世界に子供たちをどう教育して送り出すかということなのだ。
速度が速く、流動的で、自己調節的な明日の技術システムにおいては、機会は物理的材料の流れを、人間は、情報、洞察力の流れをさばいていくことになろう。機械はますます日常の決まりきった仕事を分担していき、人間は、知的、創造的な仕事にかかわるようになる。
個人が絶えず、職業、住所、社会的連携、その他を変えている社会では、学ぶことの効率を非常に重視する。したがって、明日の学校は、単にデータだけでなく、そのデータをどう取り扱うかについても教えなくてはならない。学生は、古い考えをいかに捨て去り、いかにして、また、いつ、置き換えていくかということを学ばなければならない。簡単に言えば、彼らは学ぶ方法を学ばねばならないのである。
技術中心主義の死
技術中心主義的な計画は産業化社会の官僚的組織を反映して、ハイアラーキを前提としてたてられたことである。世界は経営者と労働者、計画する者と計画を実行する者に分けられ、決定は前者によって後者のためになされたのだ。このような体制は、変化が産業化社会のテンポで起こっている間は十分間に合ったが、ペースが超産業化社会の速度に達すると、崩れてしまうのだ。
上意下達形式の技術中心主義的な目標設定手順を続けて行うことは、社会をますます不安定なものとし、変化のもたらす影響力をますます制御できないものにしてしまう。そうなると、大変動が起こり、人間を破壊してしまうような危険がますます大きくなっていくのだ。したがって、変化を自由に操るためには、重要な長期的社会的目標をはっきりさせて、そして、その目標を達成するための方法を皆で考えることである。これこそ技術社会における次の政治改革そのものなのである。すなわち皆が参加する民主主義をすばらしいものとして受け入れることである。
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